二浪大学生の底辺ブログ

ブログ名のまんまです

何故、僕は二浪もしたのか~プライドだけが高くなった進学校の落ちこぼれの末路~

ブログ名一部変更しました

 

 

日本では大抵の人が高校を卒業したらすぐに進学か就職をするだろう。しかし、僕はわざわざ人より二年も消費して大学に入ることになった。(ちなみに第一志望は落ちた。)しかも僕はバイトもせず塾も通っていたので下手するとその辺の無職より出費が大きく厄介だった可能性がある。この記事ではそんな僕の高校と浪人生活を振り返っていこうと思う。

①世の中舐めてた高校時代

まず高校生のときの僕の成績はすごぶる悪かった。何故進学校であるその高校に入れたか分からないレベルで当然のように留年がかかっていた。三年の時は一、二年のときよりはマシになったが、卒業も少し危うかった。(マシになったのは二→三年の時、理系から文系に転向したのが大きい。)

ではどうして僕がその高校に入れたのか?裏口入学でもしたのだろうか?残念(?)ながら違う。正解はその学校が中高一貫校だったからだ。(よく小学生のころ神童と呼ばれていた子が中高一貫校に入り転げ落ちていく話は聞くだろう。まあ僕は神童と呼ばれたことは一切なかったわけだが。)僕は中学受験で燃え尽きてしまい、その後親や教師にどんなに言われても勉強しなかった。とはいえ基本放任主義なので自分で勉強する気にならなければどんどんついていけなくなるだけだった。ただその学校はどんなに成績が悪くても一応高校にあげてくれるので本当にラッキーだった。(それを考えると僕のような人間は大学の指定校推薦の事を批難するべきではないかもしれない。)それで高校に入った僕に待ち受けていたのは追試地獄だった。そして僕は留年しそうな人間として校内ではそこそこの有名人になった。あまりにも追試になりすぎて他に追試が決定した奴が僕の元に追試のシステムを聞きに来る始末である。

そんな感じでどうにか三年生に上がり受験に臨んだのだが、この時まで僕は愚かすぎる勘違いをしていたのだった。しかも、二つ

一つ目は何だかんだいっても自分は進学校の生徒なのだからちょっとくらい勉強すればある程度高いレベルの大学に入れるというものだった。(僕がどのくらいのレベルを想定していたかは読者の想像に任せる。)僕の知能指数が窺える思考である。また進学校故のプライドとしてそのレベルの大学に入るのが最低ラインだと考えていた。そもそも僕がその学校に見合っていたレベルだったのは中学に入った瞬間のみであり、それからダラダラと勉強をサボり続けてきてしまった結果、高校生のくせして基礎すらまともに身についていない状態になってしまっていた。もはやFラン高校を笑えないレベルである。「最も愚かなのは馬鹿よりも研鑽しない人間だ」(引用:『理系が恋に落ちたので証明してみた。1巻』)というセリフがあるがまさしく僕のことであった。それなのに進学校に通っているというプライドと少し勉強しただけでいけると思い込みで学校のレベルを高望み(当時の僕はあまり高望みだとも思っていなかった)し、滑り止めすら正直厳しいところ(当時は厳しいと(ry)を受け、結果全滅。無残な結末だ。

二つ目は浪人を軽く見ていたことである。これはうちの高校の浪人率が約半分(主に医学部)であったこともあり、それがあって僕は浪人をすることにあまり抵抗を覚えていなかった。(うちに限らず進学校自体浪人率は結構高いらしい。)勿論、浪人というのは普通のことではない。まず大学に入るのが皆より遅れるということであるし、そもほとんどの大学の学生は浪人より現役の割合の方が高い。(医学部は除く。)そして何より親への負担が大きいのだ。本来なら22歳(一部学部や院に入る等の例外はいるが)で経済的自立をするところがそれが遅れ家族に迷惑をかけてしまうことになる。そんなことをこれっぽちも考えていなかった僕は平気な顔してとりあえず浪人をした。

色んな意味で世の中舐めていたクソガキであった。

②最も金と時間をドブに棄てた一浪目

そんなこんなで始まった浪人生活。僕は某予備校に通うことになった。浪人をなめていたとはいえ最初のうちだけはやる気に満ち溢れ、塾の指示に従い真面目に勉強し課題もこなしていた。

ただちょっとしたことで萎えて面倒になったのと最初の模試で成績が上がっていたことで、それを理由に勉強をしなくなった。怠慢癖がでてしまったのである。授業にただ出て帰るだけの日々で後期に至っては友人とラウンジで遊ぶようになってしまっていた。その塾はうちの高校と同じく放任主義的な所だったので勉強しなければついていけなくなっていくのは明白である。(勿論勉強しなかった僕が悪い。)授業料も元々高いうえに夏季・冬季講習で別途かかった。

勉強をあまりしてないのに成績が伸びないと悩み、宝くじがあたればいいのに、大学に行ったところでやりたいことができるわけないし行かなくていいのでは、v〇uberになりてえ等と現実逃避を繰り返し、四月に設定した目標もどんどん下がっていき、最終的に第一志望は去年と変わらず、滑り止めも現役より低く設定し受けることにした。

結果、いくつか滑り止めには通った。チューターが現実的な滑り止めの設定をしてくれたおかげである。

では何故また浪人することにしたのか?それを次で説明させてもらう。

③プライドとコンプレックスで突入した二浪目

先ほど述べた通り大学はいくつか通ったので行くことはできた。しかし、僕には進学校に通っていたというプライドと同期が優秀な学校に行っているという事実に対するコンプレックスが日に日に膨れ上がった。勉強してないのに、である。ただ勉強していないからこそ、自分はちゃんとやれば出来るんだと思ってしまい、結果親に頼みこみとある大学に受かることを条件に二浪した。周りを顧みない短絡的な考えである。

二浪目に通った塾は大分生徒を縛るタイプだったので流石にかなり勉強した。それでも怠慢癖は抜けきらず、サボってしまうことも多々あった。後、塾での拘束時間が長かったので家では全然勉強しなかった。(ちなみに授業料は一浪目よりかなり安かった。)

そのせいか、結局第一志望は補欠には引っかかたもののも結局落ちてしまい、これ以上の浪人は兄弟にも影響を与えることになるので(もう十分与えているが)滑り止めに入ることになった。(それでも縛られたかいがあってかどうにか現役・一浪の第一志望レベルに通ることが出来た。)

④残った後悔とコンプレックス

よく第一志望に落ちてもやりきったなら後悔はないという話を耳にするが、僕の場合結局怠け遊んでしまった部分があるので、あの時もっと勉強しとけば良かったという後悔がどうしても残っている。特に第一志望は補欠までは入ったため、後一、二問正解すれば受かったのではないか?というのもあり結構引きずっている。(あとその試験日、道に迷って遅刻した。)また、一浪目の時、二浪目の塾に通っていたら恐らく同じ結果になると思っているので、それなら一年とその金を無駄にしなくてもよかったのではないかとも考えている。(二度目だが勉強しなかった僕が悪い。)

後、同期が現役・一浪で行っている大学に自分は二浪して行っているというコンプレックスがどうしてもあり、これは恐らく解消できないだろう。(第一志望にしても同じ事だが。)

これが過去を反省せず甘えが抜けきらなかった落ちこぼれの末路である。

⑤最後に

別にこれは過去の自分を振り返っているだけで特定の誰かを揶揄しているわけではないのでその点では叩かないでほしい。(フリじゃなくて、マジで。)とりあえず僕はこの過去を反省し大学で留年しないようちゃんと単位をとって卒業することを目指す。当たり前のことなのにわざわざ宣言するのもどうかと思うが。ところで履修登録の抽選が半分外れたんだけど大丈夫なんですかねこれ。(抽選じゃない講座があるのでそんなに心配はしていない。)そんな感じで今回は終わり。お疲れさまでした。